忍者ブログ
Happy Life
カレンダー
05 2026/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[10/18 ちからん]
[10/17 すうちん]
[03/22 チカラン]
[03/21 エラード原田]
[03/17 チカラン]
プロフィール
6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 大学に無事入学した僕は、ご褒美に新しい楽器を買ってもらえることになりました

フェルナンデスのベースでした
10万円くらいだったと思います

ボディシェイプはフェンダーでしたが
当時は画期的だったスルーネック、パワーサプライ付きのアクティブタイプでした
たぶん、思惑としては話題になり始めていたアレンビックをまねしてたかな

これまた嬉しかったね

大学には少し遠かったので、下宿させてもらいました
という事は、時間制限が全くない状態なわけですよ
もう飯も食わないでベース弾いてました

高校では、ボートという競技でインターハイにも行った事あったので
大学でもスポーツをしなさいと誘われたりもしましたが
迷う事無く音楽関係の倶楽部に入部

でも何故か、始めはマンドリン部に入りました
高校時代からちょっとだけ興味があったコントラバスが弾きたかったのと
連盟の他大学が女子大ばかりなのでサークルつながりで彼女ができるかと思ってしまったからでした

ただ、思いのほかコントラバスが難しかったのと
隣の部室から聞こえてくる楽しげな音楽の誘惑に勝てなかった
(先輩に聞いていた程ほかの女子大との交流も無かった)ので1ヶ月で退部

楽しげな音楽の聞こえてくる軽音楽部に入ったのでした

当時の軽音楽部はビックバンドという形態のジャズを演奏してました

そこに入って一番困ったのは
譜面の存在でした

なんせ、譜面とか見た事無いに等しい状態だったので
読み方なんか全然わからん
おまけにベースの譜面はへ音記号ですからよけいわからん

それに、それまではテープで聞いたように弾いてただけだったので
4拍子とか3拍子とか言われても何の事かわからん
テンポがいくつと言われても意味が分かりませんでした
8ビートも16ビートもサンバもボサノバも何一つわかりませんでした

そうは言っても、わからないままだと練習にもならないので
まずは、譜面の通りに先輩に弾いてもらって
それを覚える事から始めました

それまで、けっこう難しい曲とかも弾いてたので
なんとかかんとか指は動くのですが
なにしろ何を弾いてええかわからん

1年くらいは人の倍の時間をかけて覚えてました
それでも楽しかった
ジャズなんて、それまで触れた事無かったし
管楽器が沢山ならんでいるバンドで演奏なんかした事無かったから
とにかく楽しかった
練習する時間だけはものすごいあったしね

当時はまだいろんなことが緩くて
ほんとにずっと部室で音を出すことが出来ました
夜通し練習して部室で寝た事もあります
(今は出来ないらしい、8時には守衛さんがきて追い出されるそうです)
ほとんど毎日、朝9時に部室に行って夜の9時過ぎまでベース弾いてました

ええそうです
学校には規則正しく毎日行ってました
授業にはあんまり出てませんでした・・・

僕が恵まれていたのは
先輩にすごく譜面に強い人がいて、
初めの年に色んな種類の曲をいっしょに演奏させてもらった事
空いてる時間に、譜面庫から色んな譜面を出して来て
初見の練習としていっぱい演奏しました
これがまた楽しかった

譜面を読む事や音楽の種類など
ありとあらゆる事の基本をここで教えてもらいました
チョッパーとか言う楽しげな奏法を教えてもらったのもここでした
(ただし学生のやる事ですから、後から考えたらいろいろ間違いもありました。その事でまた後々苦労することになります)

ただ、1個上に何でも弾ける先輩がいて1年生だった僕はあんまり倶楽部にいても出番は無く
ボーッとしてたら、ある先輩に「アーバンコネクションって言うバンドがベース探しとるけんオーディション受けてみたら」といわれて、田舎もんの僕はアーバンコネクションがどういうバンドかも知らずにオーディションを受けに行きました。
この事が、これから後の人生を大きく変えることになります

なにがどう人生を変えることになったのかは「継続のすすめ、その4」にて

PR
 さて、無事にベースを手に入れて
嬉しくて弾き倒していたところまで書かしていただきました

なんだか、読み返してみたら
ものすごい音楽が好きな人みたいになってますが

音楽は嫌いでした

というか、音楽の授業は嫌いでした

小学校のときは、オルガンがまともに弾けなくて
最後まで残されてましたし
聴音だって出来た事無かったし(聴音は未だに嫌い)
もっと言えば、笛や鍵盤ハーモニカもまともに吹けた事ありませんでした

ただ、ギターはすごい好きでした
なんでだろう???
あと、なんか弾けたらもてそうな気がしてました
まあもちろん、気のせいなわけですが

始めたばかりの頃、演奏してたのは先輩から教えてもらった
エリッククラプトンのサンシャインラブだけでした
そこから、甲斐バンド、キャロル、ビートルズと演奏できそうな曲を
なんとなく演奏してました

この頃の思い出で一番印象に残ってるのは
間違わずに1曲弾き通すなんて一生できんだろうなと考えながら弾いてた事(笑)
たぶん練習の仕方も知らなかったから、でたらめ弾いてたんでしょうね
あと、自分は母親譲りの不整脈だったのでテンポキープは絶対出来ないと本気で思ってました(瀑)

譜面なんか無い時代ですから
ほんとに何となくコピーしてました
何度も何度もカセットテープを聴きながらフレーズを一個一個ひろってました

ただし、チューニングもちゃんとしないでやってますから
もちろん無茶苦茶なわけです
ただただ、楽しかった

練習場所も、僕の住んでる島にはスタジオなど無く
一番近いスタジオまでバスで30分以上かかっていたので
なかなか行く事も出来なかった
お金もたくさんかかるしね

考えた末に近くの公民館に交渉して
機材持ち込んで、自分たちで畳と卵のパックを使って必死に防音して
なんちゃってスタジオ作ってやってました
マイクスタンドも高くて買えなかったから、塩ビのパイプで作ってました(瀑)

今考えたら、ものすごい贅沢な環境でやってたような気がします
高校も進学校でもなかったから余ってる時間を全部練習につぎ込めました

なので、無茶苦茶な練習してた割には
高校卒業の頃には、当時流行りだしていたクロスオーバー(今で言うフュージョン)
のコピーとかしてました

何度も言うようですが、何も正しい事を知らなかったので
全てが無茶苦茶でした

そんでもって大学で苦労することになります

続きは「継続のすすめ、その3」へ

 ニュージーランドの大地震の犠牲者はまだまだ増えそうな感じです
ニュースを見ていて、阪神大震災を思い出してしまいました

自分の身に起きたら果たして家族を守ることが出来るのか
本気で考えてしまいました

まだまだ、頑張ってる人達もいます
一人でも沢山の人に助かってほしいと思います

だいぶ時間が経ってしまったけど
まだまだ大丈夫だと信じたい
身内の事が心配で現地入りした家族の方や
日本から出れずに連絡を待っている家族の方の気持ちを考えると
いてもたってもいられない気持ちになります




今回の報道には、かなり疑問を感じました


日本から出て行く家族の方に
「心配ですか?」と質問してるアホなキャスターや
瓦礫が散らばっている現地で大声だして邪魔してるとしか思えないキャスター
スタジオでテキトーなコメントを流している司会者

この国はどこまでおかしくなってしまったんかな

なんだか悲しい国だな、暇つぶしにニュース流してるんだなと
思っていたら

違ってました

やはり国の政治というのは恐ろしいです
言論統制とか、情報操作というのはよその国の話ではない気がします

って言うか、この国はまた地方の人間を切り捨てようとしています

テレビは、この地震のニュースで盛り上がらせておいて
特にニュースに取り上げられる事もなく
国策という名の下に中国電力は
山口県の上関原子力発電所の工事を
強制的に始めたようです

詳しくはこちら

世界的には、その危険性故に脱原発に動いているにもかかかわらず
世界で唯一の被爆国であるという自覚もなく
よりによって、被爆地である「広島」「長崎」の間の山口県に
現地住民の声を無視して原子力発電所を作ろうとしています

そして、その事には全く触れない平和行政と核廃絶をうたっている広島市長と広島県知事
(っていうか、広島市では普通に原子力発電所のCM流れてますからね。だから核廃絶とか言っても核保有国には相手にされないんじゃないかな)

もしその場所で事故が起これば
瀬戸内海はいったいどうなるのでしょうか


 

なんだか、誰かの本のタイトルみたいですが
ぜんぜん関係ありません

15歳のときにベースを弾きはじめた
僕自身の経験を書いてみようと思います

中学校に入ったときに、親にお祝いでギターを買ってもらいました
ヤマハのFGシリーズの一番安いやつだったと思います
同時に、グループサウンズをやってた親戚のお兄ちゃんから
エレキギターとギターアンプをもらいました

現品は残ってないので、確かではないですが
両方ともテスコだったと思います
ギターアンプは5wぐらいの真空管でした

中学時代は、ギターで弾き語りをしてました(苦笑)
チューニングの仕方も知らなかったのでけっこう大変でした
でも、楽しかった〜!ずっとじゃかじゃか弾いてました

高校に入って、どうしてもバンドがやりたくて
仲間を探してたらなんとか5人集まりました

一人はドラム志望、一人はボーカル志望
ギター志望が僕も含めて3人いました

ギター志望3人のうち、一人は中学校からバンドをやってて
ものすごいギターがうまかったので決定
もう一人は、高校の入学祝いで新しいエレキギターを買ってもらったばかりでした
(僕はまだエレキは買ってもらってなかった)
という事で、僕はベース担当となりました

と、言われてもベースなんて知らなかった僕は
当時誰かに教えてもらった
「ギターの低い方の弦4本といっしょよ」という言葉を信じて
親戚にもらっていたエレキギターを改造して弾いてました(泣)

それが違う事を教えてくれたのは近所に住んでた先輩でした
「おまえ、アホな事しとるね!ちゃんとしたベースを買え」


最初に買ってもらったのは、東海楽器の「ハードパンチャー」という
プレベのコピーモデルでした

嬉しかったですねぇ
ホントに嬉しかった

とにかく弾き倒しました
冗談ではなく、弾いたまま寝てました

ただ、悲しい事に田舎だからでしょう
情報が無かった
お金も無かった
弦は何度も茹でて使いました
(これも冗談ではなく古くなった弦を鍋で茹でて使ってました。茹でると手垢が落ちるんだと思うのですが一瞬弦が生き返ります。もちろんすぐにダメになります。何故かこういう情報だけはありました)
正しい事なんて何一つ知りませんでした。
ただただ弾いてました
1日、最低でも4、5時間は弾いてたと思います。
学校から帰ったら弾いて、ご飯食べたら弾いて、風呂から出たら弾いてました
(今考えたら、触ってたという方が正しいかも)


いまだに、練習が全く苦にならないのはこの辺が関係してるのかも知れません。

ただし、正しい事を何一つ知らなかったので
無茶苦茶でした
その事で、後々苦労することになりますが
この続きは「継続のすすめ、その2」に
 誕生日がこんなに待ち遠しかったのはいつ以来かな

といっても、僕のではなく
娘の誕生日ですが

去年の今日
日の出とともに
その子は生まれてきました

両方の手のひらに乗るほどだった女の子は
1升分の餅を背負って立てるくらいに大きくなりました

生まれて来てくれてありがとう
元気に育ってくれてありがとう
沢山いろんなことを教えてくれてありがとう

僕の父親が、僕に精一杯の事をしてくれたように
僕もこの子に精一杯の事をします


Copyright © 裏日記 All Rights Reserved.
Powered by Ninjya Blog
忍者ブログ・[PR]