Happy Life
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継続のすすめシリーズ(勝手に名前を付けてしまいました)
番外編として、その時々でお世話になった人達を書いていってみます
まずは、ギターを始めるきっかけになった親戚の司兄ちゃん
高校に入って一緒にバンドを始めることになったメンバーひでお、ゆうぞう、そらっち、しんちゃん、つよし
ベースを教えてくれた、とおるくんとゆうじくん
学外で一緒にバンドをやってくれていた、やまちゃんとむらちゃん
それから、音戸フォーク村を作って一緒に活動した大先輩バンド「アズ」の3人
(すいません、名前が出てこない)
前野楽器の楽器コーナーのお兄さん
高校で先に活動してて、松山千春の曲がめっちゃ巧かったおもかわくん
呉の公声堂楽器、中山楽器にもお世話になったな〜
それから、直接お世話になった訳じゃないけど
呉れにいたときにいっつも見に行ってたバンド
「ピストンじゅんこ&シリンダー」「シェリフ」「キャンサー」
音戸公民間のスタッフの人達にもものすごいお世話になりました
高校時代はこんな感じかな
もっといっぱいの人達と出会ってるんですけど
なかなか記憶が怪しい
大学時代は
マンドリン部の先輩だった安永さん
ジャズがやりたい、プロになりたいと言ってマンドリン部をやめて軽音楽部に入ったんですが、笑わずにちゃんと相談に乗ってくれました
軽音楽部の同級生で一緒の寮にいたのでずっと一緒にいさせてもらったキヨトくん
僕が入ったことでベースからギターに転向したたなかはん、
今思えばホントに良いやつだったサックスのとよたくん
そういえば、当時高校生だったかずこちゃんにあったのもこの頃でした
軽音楽部の先輩、後輩
それから、他大学でしたがビックバンド連盟の同級生や先輩、後輩
はらさんやなかにしくんにであったのもここでした
定期演奏会ではいつも篠本照明にお世話になってました
トロンボーンのきしながさん、サックスのとよみさん、ドラムのおりたさん、パーカッションのみずきさん、ギターのおぐさん、ピアノのまつおくん、あと沢山のアーバンコネクションのメンバーの方々、のちのちものすごい影響を受けることになるちょうさんに出会ったのはここでした
このときはパーカッションだったドラムのたかたくん
朝から夜中までずっと入り浸ってた五日市のジャズ喫茶スクラッチ
ヤマハミュージックの方々
たかはしさん、まえとさん、こーへいさん、かみかわさん、おくぼさん
当時はパレックという会社だったヤマハのレコーディングスタッフの皆さん
ダイザブロウさんはめちゃくちゃ怖かった、でもお世話になりました
オルケスタ84のひろさん、あにやんさん、かわかみさん、やまがたさん、みはるさん
仕事を手伝った関係で一瞬だけバンドを一緒にやったエレクトーンの先生方
木定楽器のおがわさん、おおいしさん、こまたにさん
イチジクベーカリーバンドでいっしょにやってたメンバー
大顔面バンドもやった
広大ロック部クランチャーズの人達
そういえば、康作さんもこの頃出会ってた
怖くて話しかけれんかったけど
高校時代3年間、大学時代4年間で
出会った全ての人達に感謝!!
この時代に今の僕につながる全ての土台が作られてます
これ以外にも、顔は出てくるけど名前が思い出せない人がたくさん
思い出せたら順次書き加えていこうと思います
番外編として、その時々でお世話になった人達を書いていってみます
まずは、ギターを始めるきっかけになった親戚の司兄ちゃん
高校に入って一緒にバンドを始めることになったメンバーひでお、ゆうぞう、そらっち、しんちゃん、つよし
ベースを教えてくれた、とおるくんとゆうじくん
学外で一緒にバンドをやってくれていた、やまちゃんとむらちゃん
それから、音戸フォーク村を作って一緒に活動した大先輩バンド「アズ」の3人
(すいません、名前が出てこない)
前野楽器の楽器コーナーのお兄さん
高校で先に活動してて、松山千春の曲がめっちゃ巧かったおもかわくん
呉の公声堂楽器、中山楽器にもお世話になったな〜
それから、直接お世話になった訳じゃないけど
呉れにいたときにいっつも見に行ってたバンド
「ピストンじゅんこ&シリンダー」「シェリフ」「キャンサー」
音戸公民間のスタッフの人達にもものすごいお世話になりました
高校時代はこんな感じかな
もっといっぱいの人達と出会ってるんですけど
なかなか記憶が怪しい
大学時代は
マンドリン部の先輩だった安永さん
ジャズがやりたい、プロになりたいと言ってマンドリン部をやめて軽音楽部に入ったんですが、笑わずにちゃんと相談に乗ってくれました
軽音楽部の同級生で一緒の寮にいたのでずっと一緒にいさせてもらったキヨトくん
僕が入ったことでベースからギターに転向したたなかはん、
今思えばホントに良いやつだったサックスのとよたくん
そういえば、当時高校生だったかずこちゃんにあったのもこの頃でした
軽音楽部の先輩、後輩
それから、他大学でしたがビックバンド連盟の同級生や先輩、後輩
はらさんやなかにしくんにであったのもここでした
定期演奏会ではいつも篠本照明にお世話になってました
トロンボーンのきしながさん、サックスのとよみさん、ドラムのおりたさん、パーカッションのみずきさん、ギターのおぐさん、ピアノのまつおくん、あと沢山のアーバンコネクションのメンバーの方々、のちのちものすごい影響を受けることになるちょうさんに出会ったのはここでした
このときはパーカッションだったドラムのたかたくん
朝から夜中までずっと入り浸ってた五日市のジャズ喫茶スクラッチ
ヤマハミュージックの方々
たかはしさん、まえとさん、こーへいさん、かみかわさん、おくぼさん
当時はパレックという会社だったヤマハのレコーディングスタッフの皆さん
ダイザブロウさんはめちゃくちゃ怖かった、でもお世話になりました
オルケスタ84のひろさん、あにやんさん、かわかみさん、やまがたさん、みはるさん
仕事を手伝った関係で一瞬だけバンドを一緒にやったエレクトーンの先生方
木定楽器のおがわさん、おおいしさん、こまたにさん
イチジクベーカリーバンドでいっしょにやってたメンバー
大顔面バンドもやった
広大ロック部クランチャーズの人達
そういえば、康作さんもこの頃出会ってた
怖くて話しかけれんかったけど
高校時代3年間、大学時代4年間で
出会った全ての人達に感謝!!
この時代に今の僕につながる全ての土台が作られてます
これ以外にも、顔は出てくるけど名前が思い出せない人がたくさん
思い出せたら順次書き加えていこうと思います
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なだんだか、意外ところから「継続シリーズ面白いですね」と言われてびっくりしてしまいました
読んでいただいてると思うとなんだか気恥ずかしい気もしますが
じゃあ書くなよ!ってことになると寂しいので続きを
職業音楽家として最大の試練のときを迎えていたと書きましたが
なにが一体試練だったのかというと
完全に目標というか、目的を見失ってました
日々の演奏をこなすことが目的になってました
完全にどうにもならなくなって
このままではもうダメだ〜と思っていたときに
大きな出来事がいくつか重なっておきました
来るときはこういう物かなって感じですね
まずひとつは
渡辺等さんのLAでのレコーディングに同行させてもらったことでした
これがきっかけで渡辺等さんのバンドで何度かライブさせていただくことになります
これは、もう思いっきり転機でした
なによりこのときに桑野聖さんと出会えます
それからもうひとつは沢山の広島のミュージシャンとの出会いです
その中でもその後に重要になってくるのが
渋谷次さんと椎名まさこさんとの出会いでした
(それ以外にも、沢山の方とこの頃に出会うのですが
これはまた番外編として書いてみようと思います)
渡辺等さんのバンドに参加することで
アンサンブルの楽しさに目覚めてしまった僕は
それまでのセッションを中心にした
きつい言い方をするなら
その場しのぎの演奏形態からの脱却を目指すことになります
まあ、今にして思えば
力量が少なすぎて
アドリブというにはあまりに稚拙な演奏でしたから
自分の出来る範囲に疑問を感じていたのだろうと思います
そこで、僕は先程のお二人のところに押し掛けて行って
今考えたらレッスンを受けていたに等しい練習をさせていただくことにしました
テーマを繰り返し演奏してアンサンブルを仕上げていくことを
何時間もかけてやっていただきました
これが後に「C's Villege」と「はらから」につながっていく道になります
ただ、このときは必死でした
わらにもすがる思いというのはこのことを言うのではないでしょうか
このときの僕は
アンサンブルは楽しいということを知ってしまったのに
いざ自分がアンサンブルを作っていこうと思ったときに
自分のやりたい音楽が全く見えなくなってしまっていました
椎名さんとポップス的な物やクラッシック的な物を
渋谷さんとジャズ的なものを練習していただいていました
この練習は思いのほか楽しい物でした
一度バラバラになってしまって無くしたと思っていた物を
またひとつひとつゆっくりと組み立てていく作業でした
本当にゆっくりとした作業でした
だいたい週1回、1年くらい通ったと思います
それでちょっとづつですが自分を取り戻していくことになります
この辺りから、やっと今につながる道が見えてきます
この続きは「継続のすすめ、その9」へ
読んでいただいてると思うとなんだか気恥ずかしい気もしますが
じゃあ書くなよ!ってことになると寂しいので続きを
職業音楽家として最大の試練のときを迎えていたと書きましたが
なにが一体試練だったのかというと
完全に目標というか、目的を見失ってました
日々の演奏をこなすことが目的になってました
完全にどうにもならなくなって
このままではもうダメだ〜と思っていたときに
大きな出来事がいくつか重なっておきました
来るときはこういう物かなって感じですね
まずひとつは
渡辺等さんのLAでのレコーディングに同行させてもらったことでした
これがきっかけで渡辺等さんのバンドで何度かライブさせていただくことになります
これは、もう思いっきり転機でした
なによりこのときに桑野聖さんと出会えます
それからもうひとつは沢山の広島のミュージシャンとの出会いです
その中でもその後に重要になってくるのが
渋谷次さんと椎名まさこさんとの出会いでした
(それ以外にも、沢山の方とこの頃に出会うのですが
これはまた番外編として書いてみようと思います)
渡辺等さんのバンドに参加することで
アンサンブルの楽しさに目覚めてしまった僕は
それまでのセッションを中心にした
きつい言い方をするなら
その場しのぎの演奏形態からの脱却を目指すことになります
まあ、今にして思えば
力量が少なすぎて
アドリブというにはあまりに稚拙な演奏でしたから
自分の出来る範囲に疑問を感じていたのだろうと思います
そこで、僕は先程のお二人のところに押し掛けて行って
今考えたらレッスンを受けていたに等しい練習をさせていただくことにしました
テーマを繰り返し演奏してアンサンブルを仕上げていくことを
何時間もかけてやっていただきました
これが後に「C's Villege」と「はらから」につながっていく道になります
ただ、このときは必死でした
わらにもすがる思いというのはこのことを言うのではないでしょうか
このときの僕は
アンサンブルは楽しいということを知ってしまったのに
いざ自分がアンサンブルを作っていこうと思ったときに
自分のやりたい音楽が全く見えなくなってしまっていました
椎名さんとポップス的な物やクラッシック的な物を
渋谷さんとジャズ的なものを練習していただいていました
この練習は思いのほか楽しい物でした
一度バラバラになってしまって無くしたと思っていた物を
またひとつひとつゆっくりと組み立てていく作業でした
本当にゆっくりとした作業でした
だいたい週1回、1年くらい通ったと思います
それでちょっとづつですが自分を取り戻していくことになります
この辺りから、やっと今につながる道が見えてきます
この続きは「継続のすすめ、その9」へ
どんどん現実感が消えていってます
テレビで流れている東日本の現状と
いまの自分の周りの目に映る物が
同じ時代の物と認識できずにいる自分がいます
なんだか父親が死んだときよりもきつい感じ
なんとかかんとか現実につなぎ止めてくれているのが
娘の存在です
娘を前にしたときだけ
「頑張らなければ!」と思える自分がいます
でも、ここで頑張らなければ
緊急時に政府もマスメディアも当てにならないかもしれない
という思いを抱かされてしまっている
今だからこそ
家族のために自分が頑張らなければ
テレビを前にして
ただ泣くことしかできない自分にも
たったひとつだけ出来る事があるとすれば
家族の幸せのために頑張ること
周りの人たちの幸せのために頑張ること
テレビで流れている東日本の現状と
いまの自分の周りの目に映る物が
同じ時代の物と認識できずにいる自分がいます
なんだか父親が死んだときよりもきつい感じ
なんとかかんとか現実につなぎ止めてくれているのが
娘の存在です
娘を前にしたときだけ
「頑張らなければ!」と思える自分がいます
でも、ここで頑張らなければ
緊急時に政府もマスメディアも当てにならないかもしれない
という思いを抱かされてしまっている
今だからこそ
家族のために自分が頑張らなければ
テレビを前にして
ただ泣くことしかできない自分にも
たったひとつだけ出来る事があるとすれば
家族の幸せのために頑張ること
周りの人たちの幸せのために頑張ること
「継続のすすめ、その6」で、ウッドベースを始めるところまでいきました
もちろん、問題があったのはウッドベースだけではありません
エレベーも当時はひどかったですから
ものすごい練習しました
なんせ時間はたっぷりありましたから(笑)
とにかく1から練習しました
右手だけの練習と左手だけの練習
それから両手一緒に練習
遅いテンポから速いテンポまで
毎日、毎日同じことを繰り返し繰り返し練習しました
おかげで少しずつですが落ちついてきました
ちょうど、ウッドベースが弾けるようになってきたのと
同じくらいの時期でしたから
なんとなく声をかけてもらえるようになりました
もう、連絡いただいた物は全部やりました
人生で一番ライブした頃だと思います
良くも悪くもいっぱいいっぱいでした
このころ、いろんな経験をさせてもらいました
良いことも悪いことも
嬉しいことも楽しいことも
悲しいことも苦しいことも
ものすごい沢山の経験をしました
しばらくは忙しい日々が続きました
何も考える余裕も無く過ぎていきました
5年くらいが過ぎたでしょうか
それまではただ楽しかった演奏なんですが
だんだんとある気持ちが湧いてきます
それは押さえても押さえても後から後から湧いてくるようになります
「僕は毎日一体何をしてるんだろうか?」
「僕は音楽をしてるんだろうか?それともただの猿真似か?」
「ただ垂れ流しで演奏しているだけじゃないのか?これが本当に僕がしたかったことなのか?」
もちろん、こんな気持ちを抱いたままで
ちゃんと演奏できる訳も無く
ライブ自体も楽しくなくなってきます
だんだんといろんなことが荒れてきます
もう目に見えて荒れてました
今までの人生で一番やせたのもこの頃でした
この頃の写真を見ると病気のようにやせてます
職業音楽家として最大の試練の時でした
もちろん、問題があったのはウッドベースだけではありません
エレベーも当時はひどかったですから
ものすごい練習しました
なんせ時間はたっぷりありましたから(笑)
とにかく1から練習しました
右手だけの練習と左手だけの練習
それから両手一緒に練習
遅いテンポから速いテンポまで
毎日、毎日同じことを繰り返し繰り返し練習しました
おかげで少しずつですが落ちついてきました
ちょうど、ウッドベースが弾けるようになってきたのと
同じくらいの時期でしたから
なんとなく声をかけてもらえるようになりました
もう、連絡いただいた物は全部やりました
人生で一番ライブした頃だと思います
良くも悪くもいっぱいいっぱいでした
このころ、いろんな経験をさせてもらいました
良いことも悪いことも
嬉しいことも楽しいことも
悲しいことも苦しいことも
ものすごい沢山の経験をしました
しばらくは忙しい日々が続きました
何も考える余裕も無く過ぎていきました
5年くらいが過ぎたでしょうか
それまではただ楽しかった演奏なんですが
だんだんとある気持ちが湧いてきます
それは押さえても押さえても後から後から湧いてくるようになります
「僕は毎日一体何をしてるんだろうか?」
「僕は音楽をしてるんだろうか?それともただの猿真似か?」
「ただ垂れ流しで演奏しているだけじゃないのか?これが本当に僕がしたかったことなのか?」
もちろん、こんな気持ちを抱いたままで
ちゃんと演奏できる訳も無く
ライブ自体も楽しくなくなってきます
だんだんといろんなことが荒れてきます
もう目に見えて荒れてました
今までの人生で一番やせたのもこの頃でした
この頃の写真を見ると病気のようにやせてます
職業音楽家として最大の試練の時でした
毎日、流れるニュースをみながら泣く日が続いています
あらためて、何も出来ない事に気付き
自分の存在のあまりの小ささに愕然としています
少しでも早く、少しでもたくさんの生活用品が、災害から自分の命を守る事のできた人の元に届くように願っています
原発の事故に不安な日々を送っているみなさん
こちらでは、余りに情報が少なすぎて残念ながらどのくらいの不安と戦っているかわからないのですが
一度離れてみるのはいかがですか
避難という言葉に抵抗があったら
こちらに実家が有る方は軽く里帰りのつもりで、そうじゃない方は小旅行のつもりで西に来られてはいかがでしょうか
大阪をはじめ広島でも受け入れ体制ができはじめています
僕の友達も受け入れ体制を整える為に走り回ってます
うちも受け入れ準備が出来ました
救援活動も避難勧告も、日本国政府の対応があまりにも遅すぎて
このままでは、直接災害を乗り越えて助かった命が危険にさらされているような気がしてなりません
物資も届きだしていて、救援隊も送り込まれているのにまだまだ避難所は苦しんでいるように見えます
中央のバックアップ体制がすべて後手後手になっているように見えます
この国の政府は阪神大震災では何も学べなかったのでしょうか
危機管理体制、ここ一番のリーダーシップ
そういう事の為に国民から税金をとっているでしょう
すべての大臣は安全なところで会議ばっかりしてる
誰が陣頭指揮をとっているのでしょうか
このままでは、残念ながら税金泥棒にしか見えません
僕らが願うのは法律上どうなるのかじゃなくて
もちろんそれも立法府として大事なことだとはおもうのですが
少しでも早く復興に向かって歩き出せることではないでしょうか
管内閣のみなさんのこれからのリーダーシップに期待します
自分達で選んだ政府が能無しの集まりだったと後悔したくは無いです
あらためて、何も出来ない事に気付き
自分の存在のあまりの小ささに愕然としています
少しでも早く、少しでもたくさんの生活用品が、災害から自分の命を守る事のできた人の元に届くように願っています
原発の事故に不安な日々を送っているみなさん
こちらでは、余りに情報が少なすぎて残念ながらどのくらいの不安と戦っているかわからないのですが
一度離れてみるのはいかがですか
避難という言葉に抵抗があったら
こちらに実家が有る方は軽く里帰りのつもりで、そうじゃない方は小旅行のつもりで西に来られてはいかがでしょうか
大阪をはじめ広島でも受け入れ体制ができはじめています
僕の友達も受け入れ体制を整える為に走り回ってます
うちも受け入れ準備が出来ました
救援活動も避難勧告も、日本国政府の対応があまりにも遅すぎて
このままでは、直接災害を乗り越えて助かった命が危険にさらされているような気がしてなりません
物資も届きだしていて、救援隊も送り込まれているのにまだまだ避難所は苦しんでいるように見えます
中央のバックアップ体制がすべて後手後手になっているように見えます
この国の政府は阪神大震災では何も学べなかったのでしょうか
危機管理体制、ここ一番のリーダーシップ
そういう事の為に国民から税金をとっているでしょう
すべての大臣は安全なところで会議ばっかりしてる
誰が陣頭指揮をとっているのでしょうか
このままでは、残念ながら税金泥棒にしか見えません
僕らが願うのは法律上どうなるのかじゃなくて
もちろんそれも立法府として大事なことだとはおもうのですが
少しでも早く復興に向かって歩き出せることではないでしょうか
管内閣のみなさんのこれからのリーダーシップに期待します
自分達で選んだ政府が能無しの集まりだったと後悔したくは無いです
